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海外遺跡シリーズ第5弾!バンデリア遺跡その2

2010年06月18日

海外遺跡シリーズ第5弾!バンデリア遺跡その2です。

バンデリア遺跡の生活道具は、チャコキャニオンも同様ですが、石器と木器と土器が主流だったようです。
打製石器は、日本と同じで黒曜石、チャート、安山岩のようです。
また土器は、白色の粘土を用い彩色して焼き上げたものでした。





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海外遺跡シリーズ第4弾!バンデリア遺跡その1

2010年05月31日

バンデリア遺跡は、ニューメキシコ州のロスアラモスから車で30分ほどのところのバンデリアキャニオンにあります。
地図ではたぶんココ 
大きな地図で見る

ここも凝灰岩が削られた谷間で、以前紹介したチャコキャニオンと違うところは、渓谷がやや狭く木が茂っているところです。
ここは、紀元前2000年ごろから人間の痕跡があるそうです。














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海外遺跡シリーズ第3弾!

2010年05月18日

コロナド遺跡は、
ニューメキシコ州のアルバカーキの中央を流れるリオグランデ川沿いにある、16世紀の集落遺跡です。
ここは、1930年代に発掘調査が行われました。現在は、整備され川沿いの公園の一部として公開されています。





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海外遺跡シリーズ第2弾!

2010年04月27日

「アメリカ合衆国 チャコ・キャニオン国立歴史公園」その2

チャコキャニオン遺跡は、紀元前約8500年前から生活の痕跡があるそうです。現在残っているものは、5世紀から12世紀中ごろまでの集落跡が残っています。
そこに住んでいた人々は、現在のネイティブアメリカンの人々に、アナサジと呼ばれて。いますアナサジとは、古代の見知らぬ人々という意味だそうです。
5世紀にここに移ってきた人々は、ここで、それまでの狩猟生活から、畑作を中心とした農耕生活を始め、それに伴い集落が拡大していったようです。
約700年続いたアナサジたちの生活は、12世紀中頃約40年続いた干ばつによって、チャコキャニオンを離れ、その後のホビ族・ナバホ族・プエブロ族などに分かれたといわれています。
集落は、石造りの4、5階建ての建築で、集落の中にはキバと呼ばれる円形の石造り地下式祭祀場があり、そこの民族の精神的拠点であったといわれています。また、集落はいくつかに分散しており、その間は、整備された道路によって結ばれていたそうです。
集落の構造は、居住区と墓域と耕作地に分かれており、ある程度の階層社会であったと推定されています。










ここの整備の基本的な考え方は、発掘調査によって出土した建物をほとんど手を加えずに残すという方針をとり、自然の中に残された人間の痕跡を自然のままに展示しているとのことでした。
アメリカでは、そのような整備方法をするには大きく2つの理由があります。
一つ目は、これはヨーロッパにも共通することですが、遺跡の多くが石や岩などの壊れにくい構造物で、当時のものが現在でも現存しており、復元の必要性があまりないこと。
もうひとつの理由は、アメリカでは、合衆国政府とネイティブアメリカンとの間には、地下に埋もれている人間の痕跡やものは、その帰属権は先住民族であるネイティブアメリカンにあり、発掘調査やそれに伴う出土遺物の収納はネイティブアメリカンとの協議の上で行うという契約があるそうです。
ここチャコキャニオンでは、まだ遺跡の広がりが分かっていても発掘調査の計画は2002年当時では許可が出ないと聞きました。
チャコキャニオンは現在でも、各部族の聖地として生きており、定期的に巡礼して、先祖の魂に祈りを捧げることを欠かさないそうです。

次回は、コロナド遺跡の予定です。  


Fドライブから、ひとつかみ

2010年04月16日

特に話題が思い浮かばない時は、山下達郎のサンデーソングブックの『棚からひとつかみ』をまねして、保存用のFドライブから眠っている画像をひとつかみ。

本日のテーマは、海外遺跡シリーズ第一弾!
「アメリカ合衆国 チャコ・キャニオン国立歴史公園」
2002年の撮影画像です(もちろん現地での)。
遺跡の場所は、

ここをクリック!!


遺跡は、5世紀から12世紀中ごろまでのネイティブアメリカンの集落遺跡です。



集落のそばに聳え立つ凝灰岩の崖面は、高さが50m以上あり、
それが延々と続く中にいくつかの壁画が残っています。





次回へ続く。